ブリーフィングペーパー:
脱炭素社会への移行の陰で起きている環境破壊と人権侵害
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<要約>
気候危機はすでに差し迫った問題であり、多くの国や企業がその対策に急速に舵を切っている。例えば日本では運輸部門が産業別温室効果ガス排出量では20%近くの温室効果ガスを排出しているとされている が、今後日本が脱炭素の道を歩むためにはこの分野の大部分が脱炭素化することが喫緊の課題である。そのためには従来の内燃機関を持った車両を運輸に使うのではなく、電気自動車などへの移行が必要不可欠である。
問題は世界中が同じことを一度に考えていることである。
そこで世界銀行グループは気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の掲げる2℃シナリオを実現するには2018年基準でリチウムは5倍、コバルトは4.5倍、ニッケルは2倍程度の産出量を今後30年間維持し続けなければならないと試算している 。フィナンシャルタイムズなどの経済紙でも鉱物資源の供給不足が危惧されることと合わせて、自動車各社が資源確保のために従来とは異なるレベルで鉱山開発にも直接関与する傾向が報じられている 。
このグローバルに広がる鉱物の極大需要は採掘事業者や鉱物を活用する電気自動車あるいはバッテリメーカーにとっては大きなビジネスチャンスともなる。ではこの波に乗って電気自動車各社やニッケル・リチウムなどの重要鉱物取り扱い事業者に投資をしていくことは気候危機対策が進むお金の流れを生み出し、同時に投資家のポケットも潤う資本主義の輝かしき事例として諸手を上げて喜んでいい状況なのだろうか?
Fair Finance Guide Japanではこの状況の下で開発期間が延長されようとしているインドネシアのニッケル鉱山の一つであり、すでにテスラ社やトヨタ社の自動車バッテリに使用されているニッケルを一部供給しているソロワコ鉱山における現地調査を行い、ニッケル開発が現地の苦難と引き換えに進められようとしている実態を確認した。
●ソロワコ鉱山は1968年に鉱業事業契約(CoW)が締結されているが、当時の住民説明会にカルンシエ、パドエ、イヒニアなどの先住民族が招待されたことはなく、合意を得ないままで慣習地での採掘活動が開始された。1996年の更新や2014年の改正にも参加の機会はなかった。
●住居、水田、畑、放牧地を失ったものの、現在に至るまで補償を支払われていない先住民族も少なくない。支払われた場合でも少額の受け取りを強要されたケースが報告されている。
●ソロワコ鉱山の採掘許可範囲(コンセッション)は広大であるため、いまだ採掘の難を逃れている農地もある。こうした農地で住民はコショウなどの栽培を続けているが、警察や警備員からしばしば脅し・嫌がらせを受ける圧力の下で、汗水流して耕してきた農地をいつ奪われるのか戦々恐々としながら耕作を続けている。しかも利用中の農地に採掘範囲が拡張された場合に代替地が用意されたケースはこれまでに報告されていない。
●採掘が終えられた土地は表面的なリハビリが行なわれたとしても、土壌劣化のために耕作には適さない。
●ソロワコ鉱山付近にあるマタノ湖、マハロナ湖では鉱山に設置した沈殿池が豪雨時にはあふれたり、採掘地から表土が流出したりすることなどにより、土砂が湖に流れ込む。ところによって1mを超える堆積が確認された。土砂堆積がひどい場所では漁ができず、漁民は漁場を移動させられている。
●ソロワコ鉱山から直接的に影響を受けるトウティ郡アスリ村フェラリ地域で採掘行為が行われている直下に暮らす6家族が利用する湧水から発がん性物質である六価クロムが日本の環境基準(0.02mg/L)と世界保健機構(WHO)の定める飲料水水質ガイドラインの基準値(0.05mg/L)をともに超過する値で検出された。同じ検体で亜鉛も日本の水道法の基準値(1mg/L)の約2倍の値で検出された。
●ソロワコ鉱山採掘範囲内を流れるラウェウ川の水質を検査したところ、同じく環境基準を超過する値が検出された(0.75mg/L)
●2022年3月、先住民族の権利、農地に対する権利の尊重、衛生的な水へのアクセスや農地を持てなくなった青年層への雇用機会確保を求めて数百名の住民が抗議行動に参加したところ、鉱山会社PTVI側の警備員による挑発行動に応じて、PTVIの下請企業の一つであるPTトゥルバのバスが抗議中の住民側の列に突っ込むと、住民側もバスを止めようと熱を帯び、制御不能の状況の中、バスの窓が割れる事態となった。同日午後、抗議行動が再開されるとともに住民間の調整等にかかわっていた住民計7名が不当に逮捕された。
●鉱山敷地内で鉱石を精錬し、ニッケルマットを製造する設備では燃料として石炭を使用している。事業者は2050年までのネットゼロを目標に掲げているが、その一方で石炭から液化天然ガス(LNG)への移行しか具体的には示されていない。ガスの全ライフサイクルを含めた総排出量で見ると、ガスと石炭は同等、場合によってはガスは石炭以上の温室効果ガスを排出するとの分析もある。
ソロワコ鉱山はこれだけの問題がすでに確認されているニッケル鉱山だが、2025年に鉱業事業契約が満期を迎える予定である。しかし、増々大きくなる需要を受けて引き続き採掘を続けるための取り組みを現地鉱山企業は行っている。
そこには日本企業からの投資も入り込んでおり、銀行からの資金も間接的に関与している。今時点で現地の採掘事業を行う企業はブラジルに本社を置くヴァーレ社の現地子会社PT Vale Indonesia (PTVI)であるが鉱山の操業当初はカナダのINCO社が鉱山開発を進めていた。鉱山事業者の看板が変わっても共通しているのは日本の住友金属鉱山株式会社が出資するとともに生産されるニッケルマットの一部を調達している点である(現在は20%を長期特別契約にて購入)。そして、住友金属鉱山を資金面で支えているのは三井住友銀行をはじめとした日本の大手銀行各社であり、国際協力銀行を通じて融資されている日本の公的資金である。
ソロワコ鉱山の事業延長は脱炭素社会への移行のために必要なニッケルを供給することに貢献する可能性があるが、同時に本事業がこのまま延長されることは国連先住民族の権利条約に違反する事業を促進させる可能性があり、さらにパリ協定でも言及され、国際労働機構(ILO)が2015年に採択した「公正な移行のためのガイドラインーすべての人々にとって環境的に持続可能な 経済・社会を目指して」 に提示されている「公正な移行」に反する事業ともいえる。上記ガイドラインでは脱炭素社会への移行が将来世代のために環境を破壊することなく、かつ新たな社会的弱者を生まないことを基本理念に掲げているが、鉱山開発はこれらのインパクトに関する十分な対応策を示していないためである。
上述の三井住友銀行では自社の「SMBCグループ 環境・社会フレームワーク」の中でも「脱炭素社会を実現する過程では…地域社会への不安要素が顕在化する可能性が」あることを認知した上で「平等で公正な移行を目指(す)」 ことが示されている。
「公正な移行」にかかわる方針を掲げていない金融機関は速やかに示すべきであり、一方で方針を持った金融機関は方針に即した事業を実現するべく、十分なステークホルダーとの対話とデューディリジェンスを実施するべきである。
また、言うまでもなく、ソロワコ鉱山での人権侵害の見過ごしは「OECD多国籍企業行動指針」 の奨励する「責任あるサプライチェーン管理」を怠っている典型的な事例である。この行動指針においては責任あるサプライチェーン管理はあくまで奨励されているにすぎないが、ドイツで2023年より施工される「サプライチェーン・デューディリジェンス法(LKSG)」など各国で義務化される傾向にある。日本でも経済産業省が中心となって「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」を2022年9月に発表しており、その中でもサプライチェーン上の人権侵害について日本企業は責任を負うべきであることが示されている。今後金融機関各社もその点を鑑みた人権デューディリジェンスを実施するべきである。
(写真提供:FoE Japan/WALHI 南スラウェシ)